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言うまでもなく、現代社会で生活していくにあたり、大半の日本人は洋服を着ている。和装は冠婚葬祭と夏祭りのみ、しかも「ちょっと頑張ってみようかな」とひと気合入れた人が選ぶ服装である。
そんないわゆる「面倒くさい」和装を、日常的に着てみたいと思った人は、一体いつ、どんなきっかけでそう思ったのか、個人的に非常に気になる。

私個人の場合は、自己紹介などでも書いたが、祖母宅で見つけた母の若い頃の着物があまりに可愛かったことがひとつ大きなきっかけだ。それは、小さな桜が赤と白で染められた縮緬の小紋だった。その場で試しに羽織らせてもらい、黒い繻子帯(たしか白い大判の花の刺繍がしてあった)を締めた。そのとき私は背中まで伸びる長い髪を束ねておらず、そのまま大きな姿見の前に立ったときの衝撃は今でも鮮明に覚えている。七五三でも結婚式でも成人式でも見たことのない、若い娘の普段着物の姿だったからだ。折しもその着物を見つけた18、9歳の頃、私はサブカル系文学少女を気取っていて、川端康成や谷崎潤一郎や三島由紀夫を読み漁り、寺山修司や鈴木清順に心奪われていたため、鏡に映った自分があたかも夢中になった作品の中に出てくる少女に見えたのだ。

かくして私はアンティーク着物に強い憧れを抱くようになり、着物の世界にずぶずぶと嵌っていくこととなる。
最初はこういったいわゆるコスプレ的な感覚で着物を着ていたが、そのうちに世の中に眠る出番のない着物のなんと多いことか、そしてその一つ一つに仕立てた人の思いや着た人の思い出が、洋服のそれより強くあるはずなのに、日の目を見ずに処分されてしまう哀しさを知り、「ならばぜんぶ私が引き受けましょう」というマインドに変わってきている。

着物のハードルをいかに下げ、タンスの肥やしを引っ張り出すか。しつこいようだが、私はそれを地道に追求していきたいと思う。

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